人生最後の春…特攻隊長が家族へ宛てた3通の手紙「散歩の時間に暖かく湿った空気を胸一杯吸い、春の訪れを味わう」
1950年4月7日、スガモプリズン(現在の巣鴨拘置所)で最後の死刑執行が行われました。その中には、沖縄・石垣島で終戦間際に米軍機搭乗員3人を殺害した罪で有罪となった幕田稔大尉(当時28歳)の姿がありました。彼は石垣島に置かれた海軍の特攻・震洋隊の隊長として、若くして戦争の犠牲となりました。
特攻隊長が綴った家族への想い
幕田大尉の生家に残された手紙の束。死刑が執行される前月、彼は週ごとに家族に宛て3通の手紙を書き送りました。母、10歳ほど離れた妹、弟への手紙には、死を前にした穏やかな心情が綴られていました。
小さな丸い文字で書かれた手紙には、春の訪れを喜ぶ様子が記されています。「日ましに暖くなり、日中は全く春の気候と云っても、考えてみれば春ですが。蒲団一枚掛けただけでも暑くて寝れない時もあるーもっとも暖房装置が動いているからですがー。」と、暖房の効いた監獄内でも春の暖かさを感じている様子が伺えます。
死刑執行を待つスガモプリズンの日々
スガモプリズンでは、死刑執行は金曜日に実施され、その前日の木曜夜に死刑囚の部屋に迎えが来ます。そのため、死刑囚たちは毎週木曜の夜を恐怖と不安の中で過ごしていました。しかし、数ヶ月間死刑執行がない状態が続くと、「米軍はもう執行しないのではないか」という楽観的な空気が広がり始めました。
「散歩の時間に暖かく湿った空気を胸一杯吸い…」
3月27日に消印が打たれた手紙は、山形市の幕田家に届きました。母トメ宛ての手紙には、「散歩の時間に暖かく湿った空気を胸一杯吸い、春の訪れを味わう」という一節があり、限られた自由の中で春の訪れを精一杯楽しもうとする幕田大尉の姿が目に浮かびます。
なぜ戦争犯罪人となったのか?
幕田稔大尉は、なぜ戦争犯罪人として死刑を宣告されたのでしょうか。彼の生い立ちや、石垣島での出来事、そして家族への想いをたどることで、戦争の悲劇と人間の尊厳について改めて考えさせられます。
この連載「あるBC級戦犯の遺書」では、幕田稔大尉の遺書を通して、戦争の真実と、そこで失われた若者たちの命を深く掘り下げていきます。