「この二ヶ月、息子になった気がした」母の死を通して学んだ、別れと死への準備
「母が死ぬなんて、どこか現実味がなかった」。作家のMamiTadaさんが、自身の母親である久子さんの在宅看取りを通して感じた率直な思いを綴った記事です。突然の死、家族の戸惑い、そして支え合う人々の温かさ。この記事では、「人は急に死ぬ」という当たり前の事実と向き合い、死について考えることの重要性を訴えています。
突然の別れ、そして「現実」
久子さんは、いつも元気で、いつも通りの生活を送っていました。しかし、余命宣告からわずか10日間で、彼女は静かに息を引き取りました。医師の予測は的中しましたが、それでもMamiTadaさんにとって、それは信じられない出来事でした。
「3年です」「夏を越えられるかどうか」。専門家の言葉は正確でしたが、久子さんのQOL(生活の質)は、最後の数日間で急激に低下しました。死の直前になって初めて、MamiTadaさんは「現実」を突きつけられたのです。
在宅看取りで見えてきたもの
死亡確認後、MamiTadaさんは24時間ほど記憶がありませんでした。張りつめていた糸が切れたような感覚と、寝不足、疲労が重なり、ただ茫然としていたと言います。老老介護という現実も、身をもって体験しました。
葬儀は、久子さんが「この家で死にたい」と願っていた場所、自宅で行われました。座敷と居間の間のふすまを取り除き、広くなった空間に簡易祭壇を設け、質素な葬儀を執り行いました。
「ひいちゃんの人生」を振り返る
応接間の壁一面には、久子さんの写真が百枚以上も飾られました。少女時代から新婚時代、家族との思い出、友人との交流、そして最近の入院姿まで、彼女の人生を物語る写真の数々です。愛用品も展示され、久子さんの存在を身近に感じさせてくれました。
特に印象的なのは、棺の中に納められたマーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』。久子さんが愛読していたこの本は、彼女と共に永遠に旅立っていきました。
「どうせそうやろ」母の言葉と、残された教訓
訪問看護師の小森さんが「この日々もいつか康彦さんの本になるんですかねえ」と尋ねた際、久子さんは「どうせそうやろ」と答えたそうです。その言葉通り、没後二年半を経て、この物語が生まれました。
MamiTadaさんは、母親の死を通して、死について考えること、別れの準備をすること、そして「デス・リテラシー」を高めることの重要性を訴えています。この記事は、私たち自身の人生、そして大切な人との別れについて、深く考えさせられる内容となっています。