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【無事保護】東京で行方不明のイギリス国籍少女(12)、横浜の交番へ 「ネットカフェで過ごしていた」
東京都内で行方不明の12歳少女が横浜で無事保護
8月13日から東京都内の民泊から外出後、行方がわからなくなっていたイギリス国籍の12歳の少女が、無事に保護されました。警視庁が公開手配を行い懸命な捜索が続いていましたが、15日の夜、自ら神奈川県横浜市内の交番を訪れたことで、無事の保護に至りました。
「手を振ったら機銃掃射が…」15歳が見た“平和なナシ園”を襲った米軍機の恐怖
あの日、15歳の少年が目撃した残酷な日常
「米軍機に向かって手を振ったら、突然の機銃掃射が始まった――」。当時の記憶をそう語るのは、鹿児島県さつま町に住む三浦哲郎さん(96歳)です。1945年7月、日本中が戦火に包まれる中、当時15歳だった三浦さんは、宮之城農蚕学校のナシ園で実習を行っていました。空に現れた戦闘機を「敵」と認識していなかった少年たちは、好奇心から思わず手を振ってしまったといいます。しかし、次の瞬間、静かな空は「ヒュー、ヒュー」という曳光弾(えいこうだん)の音と、逃げ場のない恐怖に塗り替えられました。
終戦の6日前、海防艦「稲木」の激闘。命懸けの証言が伝える「戦争のむごさ」
終戦直前の悲劇、八戸沖で沈没した海防艦「稲木」
8月15日は「終戦の日」です。今から79年前の1945年8月9日、終戦まであとわずかという時期に、青森県の八戸港でアメリカ軍の猛烈な攻撃を受け、沈没した海防艦がありました。その名は海防艦「稲木(いなぎ)」。3時間以上にわたる激しい空襲の末、この艦で29人が命を落としました。歴史の教科書には載らない小さな、しかし忘れてはならない悲劇が、今改めて注目されています。
「行きは一等船、帰りはみじめ…」終戦から81年、89歳女性が語る壮絶な引き揚げの記憶
華やかな渡航から一転。89歳が見た「引き揚げ」の過酷な現実とは
太平洋戦争の終戦から81年。かつての日本の植民地であった朝鮮半島や中国大陸などから、戦後に日本へと戻った「引き揚げ者」はおよそ319万人にのぼります。平和な日常がある日突然壊され、極限状態での帰国を強いられた人々。金沢市に住む野村浩子さん(89)が、幼い頃の記憶を辿りながら、二度と繰り返してはならない「戦後の過酷な現実」を語ってくれました。
「戦争の無残さを次世代へ」90歳の著者が綴った自分史『大陸の風』が8月15日に出版
壮絶な満州引き揚げ体験を詩歌で語り継ぐ
三重県四日市市在住の松本康さん(90)が、自身の戦中・戦後の記憶を綴った自分史『大陸の風』を自費出版しました。10歳の時に満州で敗戦を迎え、ソ連軍の侵攻や家族との引き揚げ、そして父との別れ。幼い頃の過酷な体験を、当時詠んだ短歌や俳句、詩などを交えて一冊にまとめ上げました。
89歳の挑戦。被爆者・八幡照子さんが「英語」と「AI」で未来へ継ぐ、81年前の広島の記憶
8歳で見た「地獄」を自分の言葉で。英語学習を始めた理由
8月6日、広島に原子爆弾が投下されてから81年が経ちました。当時8歳で被爆し、現在89歳となる八幡照子さんは、今もなお自身の被爆体験を世界へ語り続けています。彼女が語る記憶は、あまりに凄惨です。「あおむけになってうめいている人。泣き続ける子ども。むせかえるやけどのにおい」。当時通っていた小学校の校庭が、2000体を超える遺体を焼く「火葬場」と化していた光景は、今も八幡さんの心に深く焼き付いています。そんな彼女が、80歳を前にして始めたのは「英語での語り」でした。通訳を介さず、自身の声と言葉で核兵器の残酷さを伝えたいという強い思いが、彼女を突き動かしています。
核兵器の恐怖を次世代へ。ノーベル平和賞受賞後に高まる「被爆証言」の重要性とは
高齢化が進む被爆者。それでも「語り継ぐ」ことがなぜ必要なのか
2024年のノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)。世界的に核兵器の脅威が改めて注目される中、今、「被爆体験を語り継ぐ」という活動に大きな変化が起きています。被爆者の平均年齢は85歳を超え、直接体験を話せる人は年々少なくなっています。しかし、核兵器がこの世から消えない限り、その悲劇を「過去のもの」にしてはいけません。福岡県被団協では、被爆者ではない人でも体験を語り継ぐための「語り部養成講座」を開講し、「体験をイメージとして心に刻む」ことで、より鮮明に記憶を伝えるための取り組みを強化しています。
被爆者がいなくなる未来へ。広島平和記念資料館が挑む「デジタル継承」と「子ども向け展示」の最前線
「被爆者がいなくなる時代」を見据えて――AIやVRで記憶をつなぐ
8月6日、広島は「原爆の日」を迎えました。被爆から81年が経過し、被爆者の高齢化が進む今、「あの日」の記憶をどう次世代へ伝えていくのかが大きな課題となっています。広島平和記念資料館の石田芳文館長はインタビューで、AI(人工知能)やVR(仮想現実)といったデジタル技術を積極的に活用する方針を示しました。特に、被爆者の語りや思いをAIが再現する「被爆証言応答装置」は、対話形式で学べる新しい試みとして期待されています。「被爆者がいなくなる未来」を見据え、デジタル技術で記憶の風化を防ぐ挑戦が始まっています。
元ジャンポケ斉藤慎二被告に懲役7年を求刑 ロケバスでの性的暴行事件の判決へ
事件の経緯と検察側の主張
2024年に起きた、元「ジャングルポケット」斉藤慎二被告によるロケバス内での性的暴行事件。この裁判で、検察側は懲役7年を求刑しました。検察は、被告側の「同意があった」という主張に対し、「供述は不自然であり、同意があったと誤信するような事情は一切認められない」と厳しく指摘しています。世間でも大きな注目を集めているこの事件ですが、法廷では被害女性の切実な声が響きました。
元ジャンポケ斉藤慎二、8月結審へ。2300万円の示談も拒絶され「実刑判決」の現実味
無罪主張も示談は不成立、被害女性は「実刑」を強く希望
不同意わいせつと不同意性交の罪に問われている、元ジャングルポケットの斉藤慎二被告。2024年7月のロケバス内での事件から始まったドロ沼の裁判は、いよいよ8月に結審を迎えることとなりました。裁判で斉藤被告は一貫して「女性から好意を持たれていると思った」として無罪を主張していますが、被害女性側は「驚きと恐怖で身体が動かなかった」と真っ向から反論。さらに、被告側が提示した2300万円という高額な示談金も拒否されており、被害女性は法廷で「実刑を望みます」と厳しい処罰を求めている状況です。