内定辞退し気仙沼へ。震災から15年、NPO代表が繋ぐ「復興」と「学び」のバトン
東日本大震災から15年。都内の企業内定を捨て、宮城県気仙沼市へ向かった大学生がいました。その青年は、震災からの復興支援を通じて、子どもたちの探究学習を支援するNPO法人を設立し、その活動は能登半島地震の被災地にも広がっています。
震災直後の決意と活動の始まり
2011年3月11日、東日本大震災が発生。当時大学生だった加藤拓馬さんは、内定していた都内の企業を辞退し、被災地である気仙沼市へ向かいました。ボランティアとしてがれきの撤去作業に携わる中で、復興の必要性を痛感します。
加藤さんの復興支援活動は、単なるがれきの撤去にとどまりませんでした。地域の人々との交流を通じて、「関係性を変えること」が復興の鍵だと気づいたのです。中国でのワークキャンプでの経験も、その考えを深めるきっかけとなりました。
ワークキャンプでの経験がもたらしたもの
加藤さんは、大学生時代にハンセン病回復者の村でのボランティア活動に参加していました。専門性も言語能力も十分ではない自分たちが、現地に滞在し、共同生活を送りながら活動することで、長年張りつめていた人々の心を徐々に溶かすことができたのです。
「同じ場所で共に時間を過ごすだけで、関係が変わっていく。地元の人々だけではどうしようもない問題を、自分たちが滞在することで解決できる。その体験が忘れられず、何度も通いました」と加藤さんは語ります。
「まるオフィス」設立と気仙沼モデル
震災からの復興支援を経て、加藤さんは子どもたちの探究学習を支援するNPO法人「一般社団法人まるオフィス」を設立しました。地元の課題を学びに変える仕掛けを「気仙沼モデル」と名付け、子どもたちの探究心や好奇心を育む学びの場づくりに取り組んでいます。
能登半島地震への支援と活動の拡大
まるオフィスで学んだ子どもたちは、2024年の能登半島地震発生時に、自らボランティアとして被災地へ向かいました。気仙沼での復興の歩みを見てきたからこそ、行動に移すことができたのです。
加藤さんの活動は、気仙沼市にとどまらず、能登半島や通信制高校へと広がっています。復興支援から教育プログラムまで、その活動は多岐にわたります。
「何者でもない」立場で、現場へ
「何者でもない」立場で、現場のど真ん中に入り、人々と向き合う加藤さんの姿勢は、多くの人々に勇気を与えています。震災から15年。加藤さんの活動は、復興のバトンを次世代へと繋いでいく、希望の光となっています。